”鍼灸師”という他人の身体に直接触れる仕事をしていると、
「邪気をもらって体調を崩しませんか?」
と聞かれることがある。
同業者の中にも「邪気をもらうと体調を崩す」という人もいる。
「邪気論」という東洋医学の書籍もあり、邪気という言葉に関しての理解も一応はある。
その上で、私自身は他人から貰った邪気とやらで体調を崩した経験はない。
生業として臨床現場に立っている以上、一回の施術で邪気にやられていては生活が成り立たない。
ただ、気分が滅入ることはある。
例えば”富良野”という土地柄。
観光業で生活している人。
観光客を増やすことを仕事にしている人。
そもそも観光客に興味も影響もない人。
観光客の増加が生活に悪影響になっている人。
同じ日に、両極端な話を聞くことがある。
どちらにも事情がある。
どちらの言い分も理解できる。
だから厄介。
善悪の話ではない。
正解もない。
事実、観光客が来なければ、富良野の経済は回らない。
だからと言って、我々は遊園地のスタッフではない。
まして、ボランティアの清掃員でもない。
そういう話を続けて聞いていると、少しずつ消耗する。
もし邪気という言葉を使うなら。
人から出る謎のエネルギーではなく。
割り切れない現実。
行き場のない感情。
一枚岩になれない地域のリアル。
そんな話をダイレクトに聞いて、さらにその場で議論をするわけにもいかない状況。
そういう生々しい話の蓄積が邪気のように感じることがある。
そして、自分自身も色々と思うことはあるが、それも矛盾が多く一貫性がない。
個人的には野生動物に餌付けをする観光客に対しては、威嚇射撃くらい認めてもらえないものか?と常々考えてはいる。
だが、それは叶いそうにないので、星空でも眺めて自分の機嫌は自分で取ることにする。
あと、この辺は熊も出る(笑)

